きっかけ
父が高校卒業後、奉公先に選んだのは
お茶屋さんでした。
しかし、
「入社に及ばす」←要するにクビですね(^^;。
そのあと、親戚の方の紹介で繊維メーカーに就職。
月2回休み。
手取り大体約5000円ほど。
その内の2000円は積金として、
おかみさんが貯金してくれてました。
その頃は神田のバー1回でお給料全部なくなってしまったそうです。
(ちなみに巣鴨のバーは3回もつそうです。)
多い時は10人ほどの社員さんがいて、
畳で眠れず、裁ち台で寝ていた時もあったそう。
一番下っ端だったので、
東京オリンピックの時は、
先輩たちは社内でテレビ観戦。
父は、外回りで配達。
女子バレーボール「東洋の魔女」の優勝は
配達中、竹町の喫茶店でその瞬間を味わう事が出来たそうです。
20歳ころの写真。
奉公先の会社の前で。
ショート丈のジャケットがオシャレ。