50年位前の母の話

今も元気な母の話です。

もうお店に出ることはほとんどありませんが、よく昔話をしてくれます。

都会で商売がしたいと20歳の時に茨城県の玉造町から父のところに嫁いできた母。
ところが、降りたった場所は、店のまわりは葦が生え放題、道路は砂利道。
当時の蕨の様子です。
「あれ?玉造とそんなに変わらなくない?」
それでも、自分で商売が出来る喜びで20歳の母は希望を胸に生き生きとお仕事をしていました。

そんなある日のことです。
父が仕入れにいっている間、一人で留守番していると、
足の悪い男性がお店にやってきました。

「これからお通夜があるんだけど、熨斗を忘れちゃって。。。足が悪くてねえ。悪いんだけど香典の熨斗を買ってきてくれるかな」
(「ん?え?」)

しかしそこは母。
「分かったわ。ちょっと待っててね。今買いに行ってくるね。」

文房具屋さんから熨斗を手に帰ってきたら
お店には誰もいません。
さらに、おつりを入れている袋もなくなっていました。
がっかりした母ですが、
父にそのことを話すと、

「あーそうかー。また頑張ればいいよ。」
と、笑っていたとのことでした。(*^^*)


またある日の事です。
万引きを見つけた母は、逃げたお客さんを
「ドロボー!」「ひとごろしー!」と大声で叫んで追いかけたそうですが、
(話しを聞いたら200mぐらい走ってます)
結局捕まらず。冷静になってみるとまわりは葦だらけ。母の叫びを聞いている人は誰もいませんでした。
またある日のこと、
買い物を済ませていざ支払いの時にお財布を忘れたというお客さん。
(「ぜっーーたいだまされないぞ。」)、
一緒に取りに行きましょう。とお客さんの車に同乗して行った先がなんとテレビとかでよく見る反社会的勢力系の事務所。
ここでひるんではいけないと「私も内股にバラの入れ墨してるのよ」と言って、お金はきちんと支払ってもらったそうです。(帰りは徒歩で帰りました。)
現在のお店も小さいですが、当時はもっと小さくて、
しかも若い二人が切り盛りしていて、
きっとはたからみたらおままごとみたいにみえたのでしょう。

お客様に鍛えられたと当時を振り返りながら語っていました。

かなり天然要素がありますが、
負けん気が強くて、人の役に立つことが大好きで、曲がったことが大嫌いな母。
ほとんど車の通らない信号もちゃんと守ります。

そんな母になかなか近づくことは出来ませんが、
こんな時母だったらどうするかなと考えることが多くなりました。私の人生の羅針盤となっています。


⚪後日談⚪
足の悪い香典熨斗男のことですが、それから数年後大阪で捕まりました。
うちの事も覚えていて、盗んだお金はきちんと戻ってきたそうです。(^^)