川崎7分
寅壱さん、
寅壱さーん、
ありがとう!。
忙しいのにもかかわらず、
調べていただきました!
鳶衣料が鳶衣料として認知されたのは、
どの辺からなのか…。
ルーツはなんとなく、想像できたのですが、
どこから始まったのか、
ずーっと気になってたんです。
前も書きましたが、町火消しとは形が違うし、
帝国陸軍のズボンとも、繋がらないし…。
そしたら、
寅壱の担当の方が調べて下さったんです
ありがとうございますm(__)m!
寅壱さんによりますと、
諸説ある事はさておき…、
高度成長期ぐらいに、
神奈川の川崎地区らへんで
川﨑7分という名で、
ワタリの広い作業ズボンを仕立てでつくっていたそうなんです!
「川﨑7分で検索したら、
川崎駅から7分。
という記事がなんて多い事!
関連した記事が出てきたのは、
川﨑7分を英訳したものだけでした
(鳶tobiのダブダブのズボンbaggy trousersなんちゃらかんちゃら…)
鳶ってtobiなんだ^ ^。
そう、
「仕立て」だったんです。
職人さん自らおあつらえ、「仕立て」。
当時の鳶職人の方が、
「これでは動きづらいから、
幅の広いの作ってよ。裾はヒラヒラしてると邪魔だから、すぼめてね。」
と、いった感じで、
作ってもらったのが最初なんですね!
感動
そして
スッキリ
東京タワーが初めかどうかは
分かりませんが、
当時、安全帯もせず、
狭い足場で、
作業を続ける方にとって、
仕事=命がけなわけで、
今までの作業服では、
合点がいかなかった。
それで、
あの様な形に
特別に仕立ててもらった。
どういった形だったら、
作業効率が上がるのか、
どういった形だったら、
モチベーションが上がるのか、
実際に現場に出ている方が
生み出した
究極の作業服、
それが鳶衣料!
だったのかな、なんて^ ^。
個人で作られたのか、
チームで作られたのかは分かりませんが、
自分たちが、
当時最も危険な現場で、
動きやすいように、
効率性を考えて
あつらえた鳶衣料が、
今もこうして、
日本を支える職人さんたちが現役として着用してくれている。
想いが繋がっている。
あの時代を作りあげてきた先輩たちが
自分たちで考えた鳶衣料を纏って、
仕立ての職人さんも、
希望に叶う鳶衣料を作って、
みんながそれぞれ真剣に、
自分の役割でもって
仕事に向き合って、
あの時代があったのだと。
「負」もあるかもしれないけど、
モーレツ、じゃないな、
自分の行動がこれからの日本を作るんだ
といったあの時代を想像すると
なんでだろう泣けてくる。