同期
父の昔の話し
住み込みしていた奉公先では
多いときには20人ほどいたそうで
寝るところもなくて、
裁ち台で寝ていたこともあった。
そんな賑やかでわちゃわちゃしていた昭和40年代のころの話です。
集団生活なので就寝時間とか規則のようなものはもちろんありましたが、
そこは元気でやんちゃな若人たちがたくさんいるところ、
社長やおかみさんの目を盗んでは
遅くまで麻雀をしたりしていたそうです。
父もそんなメンバーの一人でしたが、
どうやってもかなわない強者がいたそうです。
その人は麻雀だけではなくて、ゴルフもうまくて、
何をやってもそつなくできちゃう本当に凄い人だったと。
その時の同期たちは
独立してそれぞれ作業着やさんになりましたが、
その当時、うちに来たお客さんが、
「この前行った作業着やさん(同期の作業着やさん)で買い物しようとしたら、そこのオヤジに普段どこで買っているのか聞かれたから上田で買ってるって答えたら、商品を丁寧に置いて、上田で買ってくれって言われたんだ」
と言われたそうです。
(売り手→よくない
買い手→よくない
世間→よくない
全っ然「三方よし」じゃない^^; )
また、ある時には
改築したときにとても喜んでくれて
お祝いに来てくれたのですが、
店舗の中には一切入らなかったそうです。
中に入ってお茶をすすめても
絶対に足を踏み入れなかったそうです。
それを聞いて、
昔のお侍さんのような人だなあと思いました。
同じ釜の飯を食った当時の同期で集まった写真はたくさん残っているのですが、
そういえばお店の中で撮った写真は1枚もありません。
今ではなかなか理解できない部分もあったりしますが、
絶対的な太い絆がありながらそれでも踏み込まない領域を残している
円と円の共有点以外の部分をお互いが大事にしている関係だったのだなと思いました。
そんな昭和を生きた男のダンディズムを感じた話しでした。
(※最初の件の麻雀の話しですが、夜12時ごろ夜鳴きそば←ラーメン屋さんがチャルメラを鳴らしながら来ると、よくみんなでわーっと行っていたみたいです。おかみさんは気づいてたんじゃないかな。何も言わなかったけど。父談)
言えない(書けない)話しもたくさんありますが、
人となりのキャラクターが確立している人が本当に多くて
当時の話しを聞くのは本当におもしろいです。
合掌