2020.10.30

鳶職人の歴史

鳶職のルーツ

高所を華麗に動き回る様から「現場の華」とも称される鳶職。その起源は1400年前の飛鳥時代にまでさかのぼります。

飛鳥時代(592〜)

飛鳥時代
政治家で知られる聖徳太子は、中国から大工道具を輸入し、建築に関わる職人の育成や法隆寺の建設に尽力しました。
彼がつくった建築技術者の組織では、土に関わる職人を左官、木に関わる職人を右官と呼んでいました。

奈良時代(710〜)

奈良時代
寺社や朝廷の建築物を管理する木工寮という役所が
設立され、その中で最も位の高い役職を「大工」と呼びま
した。もともと大工は、職人の長・上位者という位置づけで使われていました。大工とい
う言葉はここで登場しました。
ちなみに今も使われている「差し金」を考案したのは聖徳太子と言われています。
「大工の神様」言われていたそうです。

室町時代(1336〜)

建築に関わる木工職人全般を大工と呼ばれるようになると、大工職人の仕事が細分化し
宮大工や建具大工など様々な専門職種が登場しました。

江戸時代(1603〜)

江戸時代
江戸は世界一のリサイクル社会でもあったためか、職人の種類は140もありました。大工はさらに細かく分類されるようになり、堂宮大工(略して宮大工)、商人の商家などの町大工、家大工、屋形大工という区分もあり、船大工、車大工、水車大工、機(はた)大工、農具大工、遊郭大工というものもあったそうです。

江戸時代の鳶職人

鳶職人
江戸時代を象徴するような職業が大工です。宮大工、家具大工、船大工など、大工もさまざまに分類されます。建築全般に関わる職人を、江戸時代では大工と括っていました。
そんな大工ですが、町民の給料が300文だったのに対し彼らは540文だったそうで、かなりの高給取りでした。
代表的な職なのにはまだ理由があります。鳶職人にはもう一つの顔がありました。それは火消しです。木造建築が立ち並ぶ江戸の町は頻繁に大火事が起こったため、家屋の構造に詳しい鳶職人たちが現場に駆けつけ、周囲の家々を破壊し被害を最小限に留めていたそうです。落語がひんぱんに大工を描くわけです。
(ちなみに、火消しの際 にも使った「鳶口」という道具から「鳶職人」と呼ばれるようになったといいます)。こ うした活躍もあって、左官、大工、とびは、「華の三職」と呼ばれていました。

大工に限らず、一人前の職人になるには長い修行が不可欠です。江戸の場合、子供は寺子屋に通い、ある程度読み書きができるようになったら親方のところで働き始めます。しかしすぐに仕事は教えてもらえず、親方や兄弟子の仕事を見ながら少しずつ覚えていきました。
一般的には、おおかた10年ほど修行した後に約1年間御礼奉公をして独立したと言われています。優柔不断でなかなか独立に踏み切れず、挙句の果てに女房に逃げられたという設定の、藤沢周平の『よろずや平四郎活人剣』(文春文庫)に出てくる芳次郎という大工 もいます。

現代の鳶職人

現代で鳶職人というと、一般的に高所での作業を専門とする職人のことを指します。どの業者よりも先に現場に向かい、仮囲い(工事現場の柵)を組み、鉄骨を組んでいく。最初に現場入りし最後に現場を去ることから「建設は鳶に始まり鳶に終わる」と言われています。さらに作業の種類や職業などによって足場鳶、重量鳶、鉄骨鳶、橋梁鳶などに分けられます。
足場鳶
鉄パイプや足場板を用いて、現場で足場を設置する職人。高所の作業現場では足場は必須なため需要が高い。
鉄骨鳶・橋梁鳶​
鉄骨造の大型建設現場で、建物の基礎となる鉄骨組みを専門に行います。鉄骨造の中でも高速道路や橋などで作業する鳶職人を橋梁鳶と言います。
重量鳶
建物内に大型機械などの重量物を据付けます。建物の設備機器・工事に関る専門知識が要求されます。

参照

『WORKERS TREND』, (参照 2020-9-25)
https://ncode.syosetu.com/n3190eu/13/
https://build-up.jp/work/338/
http://ashiba-best-partner.co.jp/magazine/ashiba-tobi/
https://wawawork.work/workerstrend/license/211/
岡村直樹(2018)『時代小説がもっとわかる!江戸「仕事人」案内』天夢人
石井明(2016)『江戸の風俗事典』東京堂